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ライター標本5・6

インドネシア帰りのかけ出しフリー編集・ライターのブログ

大学時代デモ企画したけどシューカツ落ちる・通るヤツ、さまざまでした

デモ参加がバレたら就職できないという風潮

今年は安保法制で国会周りのデモが多く、この手の議論があとを絶たない。

でも、これって今に始まったことじゃないよね。少なくともぼくがシューカツしてた時、2008年頃にはすでによく見る言説のひとつだった。

大学生のときにシューカツに関するイベント、デモを企画した

大学のときに「就活生の本音フェス」ってイベントを企画したんですわ。その企画時に、まわりの友人たちの中には、冷ややかな目線で「そんなことやってたら就職できないよ」と言ってくる人も少なくなかった。

すげーざっくり言うと、イベントは以下の様な趣旨。

シューカツについて賛否両論いろいろあって、誰かが発する文句に対して「負け犬の遠吠えだろ」と切り捨てる風潮が強かった。でも、シューカツでの勝ち組たちも「これってなんかおかしくない?」って思ってることがあるってことがわかった。

「シューカツで語る内容のためにサークル活動をするなど、本末転倒になってるよね」

「論文など、勉強が一番重要な時期に時間をとられるのはおかしい……」

「そもそも、一回しかチャンスがないのっておかしくない? 新卒と既卒1年目の違いってなんだろう」

実際のとこ、みんなはどう思ってるの?
どーやったら学生と企業の双方にとって良いシステムになるのか?

ってとこをあぶり出すべく、イベントを企画した。

茂木健一郎さんや杉村太郎さん、就職活動の勝ち組と負け組の学生をゲストに呼んで、ディスカッションをしたり、最後には渋谷の街をデモして回った。

2,3の新聞とNHKの18時のニュースで載ったと記憶している。顔もバッチリ出ていたはず。東京新聞にいたっては、イベント実施前の企画段階から記事にしてくれた。

ぐぐってみたら、茂木さんのブログにも残ってた。
茂木健一郎 クオリア日記: どうせ、ベタ記事にしかならねえぜ。

このイベントのメンバーは、いろんなところにお呼ばれして、
ニコ生でひろゆきと対談したり、BSのジャーナリスト財部誠一さんの番組に出させてもらったりした。
「就活のしきたり 踊らされる学生たち」 ひろゆき×石渡嶺司のログ一覧 - ログミー

そのときの自分の発言について
シューカツについて、ニコ生でひろゆきと対談した時の振り返りとその後の話 - リコシュギブログ

その半年後には2nd.GIGと題して、田原総一朗氏や各大学関係者、企業のちょっとえらい人を招いてディスカッションを行なった。この2回目には、ぼくは海外にいたので参加できなかったのだけど。

デモ参加したら就職できないの?

で、本題です。

顔もバッチリ写ってたし、見方によっては「企業をディスってる」ともとれなくはない(かなりの曲解だけど、このていどの曲解はインターネッツには無数にある)このイベントで、デモまでやったメンバーたちは就職できたのかーー。

結論から言うと、就職できたヤツもできなかったヤツもいる。

シューカツ市場で良く目にする大企業に入ったヤツから、ぜんぜん上手くいかなかったヤツまで、ほんとさまざま。

「顔が写ってなくて、ばれなかっただけじゃねーの?」って思うひともいるかもしれないけど、一番露出してるイベントの代表が大手企業の内定とったし、その後取り消されもしなかった。新聞にガッツリ顔が載った中心メンバーにも、超大手企業の内定とった人もいれば、まったく内定をとれなかった人もいる。

つまり、デモに行こうがシューカツ通る奴もいれば、デモに行かなくてもシューカツに落ちる奴もいるっていう、身も蓋もない話なんじゃないかなー。



ちなみに、ぼくはシューカツぜんぜん通らなかったので、知り合いの知り合いの会社に拾ってもらって、海外に行きました。

広告クレジット外しって要するに詐欺なんだぜ

やまもといちろうさん対ホリエモンのバトルが始まるなど、記事広告の記載に関する話題がいい感じに燃え上がってきてますね。

[徳力]ネイティブアドのガイドラインが機能してくれないと、間違いなくネットの記事を一つも信じられなくなる未来が来てしまう件について

ネイティブアドの「広告」クレジット外しが違法な件で、ふじいりょうさんへのお答え: やまもといちろうBLOG(ブログ)

堀江貴文さんの「ホリエモンドットコム」で有償広告記事で「広告」未表記(山本一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース

このへんはぜひ読んでおきたい。

世の中には「タイアップ記事だとしても、インタビューなどの読者が喜んでくれる記事の場合は、広告クレジットは必要ないのではないか」みたいなことを言ってる人がいますが。

コンテンツとして成立してるとかしてないとかはどうでもいいんですよ。要は金もらってるから褒めてるのか、純粋に商品(またはサービス)を褒めてるのかがわかんなくなるのが問題なんです。

いや、例えばですよ。ある電機メーカーの広報の人が「今年買うべき洗濯機ベスト5」とかいう記事を自社媒体に挙げて、軒並み自社製品がランクインしてるとしましょう。胡散臭いでしょう。ステマってのは、それを他者媒体でやっているみたいなもんです。金払うから褒めて、みたいな。

ニュースを配信するメディアっていうのは、読者のためになる情報を発信するのが唯一の存在意義なわけです。企業から金をもらってるから、なんらかのイベントや商品を取り上げるんじゃなく。

東京編集キュレーターズ : Seminar東京編集キュレーターズ : ナタリーがニッチ分野で成長し続ける理由、唐木元さんに全部聞きました。

この対談でナタリーの唐木さんは「メディアの中に、お金で買える部分と、お金では買えない部分を切り分けて持っている」と話していますが、まさにこのことです。

唐木
さて、ここからが大事な話になりますが、さっき言った特集記事、これは商品です。で、ナタリーにはニュース記事と特集記事っていう2種類のコンテンツがある。ニュース記事は、商品じゃないんです。掲載にお金は1円もかかりません。昔、とある雑誌の編集長の人が「ナタリーにニュース記事を出してもらうには1本いくらかかる」っていう発言をTwitterでしたことがあって、これは事実と異なるからわざわざ抗議して撤回してもらったんです。繰り返すけどニュースの掲載はタダ。それは言い換えると「買えない」ってことです。


田端
値札の付いてないものは買えない。


唐木
そう。だから、たとえば100万払うからこのニュースを記事にしてください、と言われても受けられないものは受けられない。ニュース記事では編集部の主体性、つまり編集権をしっかり確保しておく。繰り返すけど、ひとつのメディアの中に、お金で買える部分と、お金では買えない部分を切り分けて持っているということ。実はこれ、ファッション誌の世界を覗き見たときに勉強したことなんです。ファッション誌はグラビアを絶対に売らないでしょう?

本来、お金で買える部分と買えない部分をわけているのに、買えない部分をこっそり売っているというのが、広告記載のない記事広告なわけです。

要するに、それってもうニュースメディアじゃないんですよ。そして、お金をもらったうえであるサービスを褒めてるのに、それをニュースとして配信するのって、もはや詐欺ですからね。

メディアの編集部が、独自の視点であるサービスを分析して褒めてると思ってたのに、実はお金もらったから見るやり褒めてました、みたいな。

広告クレジット外しってなんでダメなの? と思う方。一言で言うと、詐欺だからです。

駆け出しライターのくせにえらそうな感じで書いちゃったけど、まあそういうことです。

文学を作家から取り戻さなければならない いとうせいこう✕若松英輔の対談メモ

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《第262回新宿セミナー@Kinokuniya》若松英輔×いとうせいこう 「たましいのこえ――死者のコトバ、コトバである死者」(2015年3月31日)※本講演会は終了しました。 | 本の「今」がわかる 紀伊國屋書店
およそ一ヶ月前、このトークショーに行ってきた。

東日本大震災の後に小説『想像ラジオ』を書いた、いとうせいこう氏と、『魂にふれる 大震災と、生きている死者』を書いた若松英輔氏の対談。これらの作品の共通項が「死者」であることから、どんなところに話が転がっていくのかわくわくしていた。結果、期待以上の場所へ連れて行ってもらえたトークショーだった。

全体的に、若松さんが価値観を提示して、いとう氏がその肉付けをしていくという感じの流れだった。若松さんが繰り広げる世界観は、か細い一本の糸を手繰り寄せながらも、曇りなく一定の方向を指し示していた。いとうせいこうさんのちょっとした言葉遣いや例えの豊富さは、さすがの一言。個人的には、若松さんの世界観や価値観に強く引き込まれた。

「死者」を「見えないけど存在するもの」と定義し、“みえないけど、そこにあるなにか”と付き合うことが、現代では少なくなってきている。そこから、“みえないけど、確かにそこにあるなにか”が、作家の体を通して作品になったものを「文学」というんだという話にシフトし、とっても熱い文学論が始まった。

以下、特に感銘を受けたトークの一部抜粋。

<若松氏>
文学っていうのは誰かのものではなく“できごと”である。何かが起こって、それをただ描写したもの。それを自分が発信したのものだと勘違いした作家は、どんなに有名作家だろうと、しょうもない。

文学を作家から取り戻さなければならない。

“正しい文学”なんかない。

仮に“正しい音楽“なんか主張したら笑われる、何だそれって。文壇の、作家が発信するものが正しく、読者はただ受け止めるだけという構図は、そろそろなくさなければならない。ひとりひとりの読者が、何らかの作品を読んで感じたことは、読者にとっては“本当のこと”。それを大切にして欲しい。

<いとうせいこう氏>
和歌を読む歌会では、誰もが平等に歌を詠み、評価し合った。「それ、いいね」という誰かの評価によって“風が吹き”、歌は読んだ瞬間とは別のものとなる。秀吉が偉かったのは、有名な歌詠み、大名、乞食、商人をまとめて一緒くたにしていたこと。私たちもそれに立ち返るべきである。

トークショーの最後には、若松氏の観客への鋭い指摘もあった。

<若松氏>
メモなんか取ってないで話を聞いて感じたことを書いて欲しい。大したこと言わないんだから。以前、講演をした際に一番前に座って、話を聞きながら一心不乱に絵を書いていた人がいた。最初は気にならなかったけど、最後の方には気になってしょうがなかった。「おれの話ってどんな絵なの?」って。

メモを取りながらドキリとした。このへんの、観客に対してもガチンコなあたり、すげーなって感じだった。


トークの締めに、若松氏が「ネット社会全盛の時代だからこそ、自分がいいと思ったもの、ことは勇気を持って褒めて欲しい。優位性を感じるためだけになんでも貶す人が本当に多すぎる」と懇願するように話していたのが印象的だった。

いわゆる「何が嫌いかじゃなくて、何が好きかで自分を語れよ」ってやつですな。


文学を作家から取り戻さなければならない

ってかっこよすぎだよなー。要するに権威にすがるんじゃなくて自分のインスピレーションに従って生きようぜって話だったのかと。面白い話はもっとたくさんあったけど、それはトークショーにお金払って行った人たちだけが、大切に心に刻みます。

商業ライターデビューしました

編集・ライターとして食っていくぞ! という目標を立ててから約5ヶ月が経ち。

ひっそりと商業ライターデビューしました。

「TPD クロストーク」第3回 高嶋菜七×脇 あかり|1対1での語りおろし&お互いをチェキ撮影!
LoGiRL|ロガール

テレビ朝日が今年1月に開設した、ガールズコンテンツサービス「LoGiRL」のオフィシャルサイトの記事です。東京パフォーマンスドールのメンバー対談という内容。昨年に横浜アリーナで開催された「@JAM EXPO」で見たことあるし、なんならメンバーのひとりから販促グッズのうちわを手渡されたこともある。全く知らない子たちじゃなくて、ちょっとホッとしてました。

短い記事なのに原型ないほど赤入れしていただき、これでクレジット入るの恐縮の極みでしたが、記念すべき初仕事の記録が残ってうれしい。
じゃかるた新聞時代も署名記事書いたことあるけど、過去記事はだれでも見れるわけじゃないし。

とりあえず最初の一歩を踏み出すことができました。この道で精進し、ウデを上げて食えるように頑張ります。毎日歯を磨きますし、〆切を守ります。

少ない友人たちがこのブログでぼくの生存確認をしているようなので、ご報告まで。

見えるか、見えないか。企画を考えるアタマのつくりかた

編集会議の編集・ライター講座を受けてきたメモ。

今日の講座の2コマ目は、これまで約200冊120冊以上の書籍を作ってきた(聞き間違いでなければ聞き間違いでした)という凄腕編集者・石黒謙吾氏に、雑誌化書籍の企画書をレビューしていただくという内容だった。受講生は100人近くいて、多面将棋みたいな感じで一人に使える時間は少なかったが、他人のレビューも参考になる。2時間みっちり収穫の多い実りある講義となった。ぼくの企画はボロボロにけなされてきたわけだが、めっちゃよかった。企画を考えるアタマのパラダイムシフト起こったで、これ。個別の評論など、開催元の宣伝会議はSNS等で講座内容を記載することを禁じているようなので、詳細は割愛(ちょっと狭量な気もする)。

「新聞や雑誌記事、右から左に流しただけ、汗が見えない」と評された。ぼくが実際にブログで書いていたネタだったりしたて汗は書いてるんだけどな〜と思いつつ、百戦錬磨の書籍編集者からすると既視感が大きかったのだろう。もっとそそる、伸びしろのあるコンセプトを立てる必要があった。まだこの世に無い、それ読んでみたい、と感じさせるような。

最後に講師の帰り際に声をかけ「こんな論点の企画だったらどうですかね」と他にあたためていた企画の提案したわけだが、「おもしろいとは思うけど、パッケージング全体で判断するものなので、ここで各論のみのレビューはしかねる」と言われ合点がいった。GOサインが出るかどうかは、要するにどんな媒体で何ページ、カラー白黒かなど体裁を含めて、出来上がった本が思い浮かぶかどうか、“見える”かどうかなんだろう。約100名いる受講生のすべてのレビューをしている中で、何回か「この企画は完成したらこんな感じだろうなって“見える”」と言っていたのが印象に残った。
自分なりに考えた反省点としては、自分の関心が先行しすぎて、既存のフォーマットにネタをどうハメ込むかという練りが非常に浅かった。また講師の性格や好みを事前に考えて作ったら「これだったらあそこに紹介しようか」という展開もありえたはず。ぬかった。

いずれにせよ、今の自分にはこの媒体のこの企画だったらこんな内容と体裁で…というイメージが足りなすぎる。既存の媒体をこれまでとは違う読み方をする。そして感覚値を養いつつ、つてをたどって、その判断をして貰える人にぶつけるということを重ねていくことだな。

石黒さんは、企画書を見て5秒でいいかダメかがわかると言っていた。そんなもんかな〜と思いつつ、じゃかるた新聞の広告を作っていた時に「このクライアントは落とせる」というイメージが湧く場合とそうでない場合があったのを思い出した。「このサイズで、こんなコピーとレイアウト、月に何回出してもらおうかな…」というイメージを持つことができると、結果的に口説き落とすことができた場合が多かった気がする。数をこなしていくと、“見える”ものがあるんだろうと思って、下積んでいくしか無いな。