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インドネシア帰りのかけ出しフリー編集・ライターのブログ

日本人が終戦記念日に見るべき映画「日本のいちばん長い日」

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この映画を見た後に、こんな話を思い出した。古いビンテージギターの価格が高いのはプレミア価値があるからだけではない。良質な材木が枯渇していない時代に作られれ、今では考えづらいほど良質な材を惜しげも無くギター作製に使う事ができたと言われている。プレミア価値があるだけでなく、ギターとしてのクオリティが高いのだ。

古い日本映画を熱心に薦めてくる人に出会うたびに「昔はよかった的な懐古主義」「古い映画をしってるおれかっこいい的なナルシスト」認定をしていたのだが、いくつかの映画を見て考えを改めざるを得なくなった。ある時期までの日本は、最大の娯楽が映画であったため、才能が映画業界に結集していたのだ。だからこそ、昔の日本映画はおもしろいのだろう。


この映画「日本でいちばん長い日」も、日本の映画が一番盛り上がっていた頃の傑作の一つだといえるだろう。資料的価値から見るべき映画であると断言できるが、何よりも一本の映画としておもしろいから勧められる。

ネタバレもあるので注意。

映画の概要

タイトルの「日本のいちばん長い日」。第二次世界大戦下において、閣僚たちが御前会議において降伏を決定した1945年8月14日の正午から、国民に対してラジオ(日本放送協会)の玉音放送を通じてポツダム宣言の受諾を知らせる8月15日正午までの24時間を意味している。

1967年に東宝35周年記念作品として、豪華製作陣・キャストで製作された映画。半藤一利著(当時のクレジットは大宅壮一となっている)のノンフィクション『日本のいちばん長い日』が原作で、史実にもとづいたノンフィクション映画ということになる。

あらすじは以下のとおり。

昭和20年7月、米英中国よりポツダム宣言が通告される。
政府は閣議を何回も開くがポツダム宣言を受諾するかどうかの
結論は容易には出ない。その間に広島、長崎に原爆投下、
ソ連の参戦と事態はますます悪化する。
結局最後は天皇に直接御聖断を仰ぐことになる。
8月14日、ついに御前会議は開かれ天皇は決断した。
「戦争の継続は民族の滅亡を意味する。速やかに終結せしめたい」
こうして緊迫の24時間、「日本のいちばん長い日」は始まった。

2時間半を超える大作。
この8月14日の昼の12時の天皇の御聖断のシーンまでで20分。
ここでようやくメインタイトルがでるような長い前振り。
この映画の魅力は何といっても日本映画男優オールスターズの
演技合戦だ。
戦争遂行派による軍事クーデターを主軸として同時に壮大なディスカッション
ドラマでもある。

日本のいちばん長い日より

物語は、ポツダム宣言を受諾するかどうかを閣僚が議論しているところから始まり、宮城事件を経て、玉音放送が行われるまでを描いている。

2時間37分と長い映画ではあるが、最後までおもしろく見れた。史実に基づいているため、サスペンス性はそこまで強くないにも関わらず、最後まで緊張感がある。歴史自体が非常に興味深いストーリーであること、俳優の迫力、監督の技量に支えられていることが挙げられそう。

かつてアニメ「AKIRA」が製作された際、優秀なアニメーターが軒並み投入され、その年のアニメ業界のクオリティが下がったと言う逸話がある。当時の有名監督岡本喜八や陸軍大臣を演じる三船敏郎を筆頭に、この映画のキャストの豪華は、この年の東宝の映画製作に支障を来すのではないかというレベルで豪華に見える。

日本の芸能では政治がタブーと聞くことがしばしばあるけど、この時代の日本映画は政治を題材にしたものたくさんあるみたい。

歴史を知る上でも重要な映画。そしてどんどん薄れていく先の戦争の影を胸に刻んでおくためにも。ながい一日を追体験できるこの映画は、ぜひ終戦記念日に見るべきである。まあ終戦記念日じゃなくても見たほうがいいんだけどね。

この映画を見ていて考えさせられたことがいくつかあったので、以下にまとめてみた。

人間が狂気を帯びていくさまと、理性のない自尊心と愛国心の暴走

宮城事件をご存じの方がどのくらいいるだろうか。ぼくは恥ずかしながらこの映画で初めて知った。宮城事件とは戦争終結、すなわち負けを認めたくない若い将校たちが、宮城(皇居)を占拠、日本の降伏を阻止しようと企図したクーデター未遂事件のことだ。

和平をすすめる上司を「生き恥さらし」「卑怯者」と呼び、天皇に戦争終結を撤回させるべく、クーデターを計画する。そのみちすがら、方方で説得しながら協力者を増やす段階で、近衛師団長の説得に失敗。

この時点で、勝ち目のない戦争になんとしても突き進もうと一億総玉砕の国民全員戦死を主張する姿は狂ってるとしか言えない。さらに逆上して近衛師団長を殺害し、命令を捏造して軍の一部を掌握するあたりから狂気が加速していく。

国を守ることは天皇を守ること、という建前のために、天皇の意に背き皇居を占拠してしまうという暴挙。

「本土決戦で玉砕しよう」とか「もうあと二千万、日本人の男子の半分を特攻に出す覚悟で戦えば、必ず勝てる!」とか言っちゃう現実が見えない若い軍人たちが、日本のためではなくもはや自分のメンツのために現実逃避してるようにしか見えない。

クーデターの首謀者の一人、畑中少佐役の黒沢年男の狂った演技の迫力が凄まじかった。狂気のパーセンテージが上がっていく感じが絶妙に気持ち悪い。

そして、理性のない自己愛と愛国心の境界線が融解した先には狂気しか待っていないということが描かれていたとも考えられる。比べると迫力が違いすぎて、失礼かもしれないけど。昨今取り沙汰される事が多いプチ右翼の方々に関しても、自尊心と愛国心のないまぜにして暴走する先には、狂気しか待ってないんじゃないかなということがわかる映画なのではないかと思った。

戦争を終わらせる難しさ、というか軍隊って怖いな

教科書で見れば、「昭和20年7月、米英中国よりポツダム宣言が通告」の後にすぐ「昭和20年8月、ポツダム宣言受諾」とふたことで終わってしまうのだけれども、その行間たるや凄まじい出来事が起こっていたのだなあ…と改めて気づいた。

現実的に見れば、終戦以外の道はないのは明らか。そう考える閣僚は多かったが、ここで軍部を刺激してしまうと、何が起こるかわからないほど緊迫した状況だったことがわかる。

とはいえ、降伏すれば攻撃を中止してくれるのか、とか国体護持できるのかみたいなことを考え始めると。徹底抗戦をするというのも選択肢のひとつだったのかな、とか一瞬思ってしまった。怖い。

「もう勝ち目がないから降伏しよう」という海軍トップと他の閣僚、「戦局を好転させる公算もあり得る」という陸軍トップが言い合ってるこれ以上ない不毛な議論が続く。これも陸軍トップだって勝てるとは一ミリも思ってないけど、「勝てると思ってるって言ってねばったけど、全員から反対されちゃった」的な言い訳がないと、部下たちが納得しないと思って演技してたんじゃないかな。

結局クーデターが起こっちゃうわけで、その考え方は間違ってなかった。いずれにせよ軍人が本気になると要所の占拠とかすぐできちゃうんだろうなというのを考えたことがなかったので、軍隊を統制できるとは限らないってこと、日本人はもう少し考えてもいいよな。

ソースは忘れたけど、人類の歴史上では、軍隊が殺人を行うのは他国よりも、自国内においてのほうが多いらしいし。

戦争中において多数決的に閣議決定をすることは難しいし、やはり軍部の力が最大化するときなので、統制が難しくて怖いなと思った。

あと、現場を知らない中央のエリートだからこそ「もうあと二千万、日本人の男子の半分を特攻に出す覚悟で戦えば、必ず勝てる!」とか言っちゃうんだろうな。二千万人のリアルなイメージがないからこそ言えることだろうし、集団的自衛権の閣議決定できちゃうのも、現場を知らない人独特の想像力の欠如がなせるものなんだろうな。

くだらないことにこだわる「日本人らしさ」が哀しい

ポツダム宣言の受諾を閣議決定して天皇の決断がなされた後も、原稿の誤字脱字で清書し直すとかしょうもないことを繰り返し、宣言の受諾や玉音放送のスケジュールがどんどん後だおしになっていく。このへんのお役所仕事観がデジャブすぎて笑えた。

つまらない儀式に目が行き過ぎて、本質を見失っていく日本人らしさが描かれていて、時代を超えたあるある感がおかしくも哀しかった。

さいごに

以上、映画をみておもったこと。

繰り返しになるけれど、歴史を知る上でも重要な映画。薄れていく先の戦争の影を胸に刻んでおくためにも。ながい一日を追体験できるこの映画は、ぜひ終戦記念日に見るべきである。

というか個人的には終戦記念日にかぎらずあと何回かは見たいと強く思っている。