ライター標本5・6

インドネシア帰りのかけ出しフリー編集・ライターのブログ

バイラルメディアが嫌われる理由を考えた結果、問題は違法性ではないことがわかった

少し前、ライターがバイラルメディアのひとつを訴えたエントリが話題になった。このエントリがアップされた直後に、多くの便乗記事がアップされた。ぼくもその一人で、こんなのを書いた。
バイラルメディアはのさばり続けるだろうな〜 - リコシュギブログ

バイラルメディアに関しては、やまもといちろう氏も以前から違法性を指摘していたし、ほとんどのメディア関係は苦々しく思っていたはず。やはり他人のコンテンツを盗んで、それを商品として堂々とお金稼ぎをするという、これ以上に「盗人猛々しい」という言葉を忠実に表す状況がかつてあったのでしょうか、と思えるレベル。

しかし「他人のコンテンツを盗んで、それを商品として観客を集め、堂々とお金稼ぎをする」ということに関しては、いま批判を浴びているバイラルメディアだけが罪を犯しているわけではない。例えばラジオ番組を買ってに書き起こしてアーカイブしている「世界は数字で出来ている」「ラジおこし」、プレゼンテーションなどを書き起こす「ログミー」も全く同じ罪を犯している。
更にいうと、いまやネット上のインフラといえるかもしれないほど大きな存在になっている2ch。これだってコンテンツの転載によって成り立っているし、各種2chのまとめサイト、いわゆる転載の転載というもはや一点の曇りもない漆黒、擁護できないサイトも数々存在する。


さて、興味深いのは、これらのウェブサイトがいわゆるバイラルメディアほどの批判にさらされていないという点。いやいやまとめサイトはめっちゃディスられてるやん、という話もあるが、ヨッピーのような法的に真っ向から戦う勇者は現れなかったはず(ぼくが知らないだけならごめんなさい)。

その理由として僕が考えたのは、メディアのコンテンツ運用姿勢に問題があるということだ。
ひとつは、問題のあるバイラルメディアに共通しているのは、コンテンツを盗んで、さらに自分たちが作ったかのような顔をしている事が多いという点。違法バイラルメディアの多くは、アップする記事の中心にYOUTUBE埋め込み動画を設置しており、どこどこからの転載ですという明記もしない。まあ明記してもダメなもんはダメだけど。
さらに「気に入ったらシェアして」などと固定メッセージを設置しているが、それお前の作ったコンテンツじゃねえだろ。
ラジおこしや世界は数字で出来ているなどの、コンテンツの転用をして引用元を明記しつつ違法にお金稼ぎをして、著作権違反をしているメディアとは一線を画す、姿勢の違いだ。もちろんどっちもアウトだけどね。

ツイッターなどで他人の作成したコンテンツを自分が作ったとして発表する「パクツイ」を行う人々が一定数いるが、批判されまくっているバイラルメディアのいくつかはそれをメディアぐるみでやっているわけである。

違法にお金を稼いでいるということよりも、勝手に作者ヅラされた許せんという感情の方が強いのではないか。というのがこのエントリで語りたかったこと。つまり著作権を有しながらコンテンツをパクられた人々にとって、違法性よりも、「コンテンツを盗んで、さらに自分たちが作ったかのような顔をされる」ということの方が許せないのではないだろうか。という話を思いついたんですが、どうでしょう。

※バイラルメディアの中にもまっとうにやってる人たちはいるはずなので、その人達のことは言ってません。あしからず。

蛇足

コンピュータなどのツールがない時代に同じことを行うと仮定したら。例えば、他人が作った絵や音楽を、自分が製作したとして披露することは難しいはず。すぐにバレてしまうからだ。しかしインターネットや、Photoshopなど改変の自由度が増すアプリケーションが安価に利用できる時代には、本当にオリジナルコンテンツなのかという点が非常にわかりづらい。つまり、いくつかのバイラルメディアが嫌われる理由は、普通に考えたらありえないほど単純な盗用が、既存の著作権法でさばきづらいため、自浄作用的に起こったバッシングなのでは。

ヨッピーとBUZZ newsの一件では、違法性を認めて示談に至ったが、メディア側が、本気で「これは我々のオリジナルコンテンツだ」と主張した場合、法律ではどのような扱いになるのだろうか。意外と裁判が難航してしまったりしないだろうか。そしてゴネたもん勝ちという結果が出たりしないことを祈る。

つまり、いくつかのバイラルメディアに対する大きな批判は、技術革新によって起こった著作権法という枠組みへの攻撃に対する自浄作用なのではないだろうか。酔っ払ってるから途中から何言ってるかよくわかんなくなったけど、そんな感じ。という妄想を、たったいま思いつきましたがどうでしょう。