ライター標本5・6

インドネシア帰りのかけ出しフリー編集・ライターのブログ

「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」の賛否と、ダウンタウンはいまが全盛期説の是非

なにをつくっても文句を言われる。あらゆるジャンルのキラータイトルで起こる現象だ。

村上春樹の新刊が出るときや、ドラクエやFFの新タイトルが出るとき。どんな内容だったとしても、文句を言うヤカラは一定数存在する。多くの人から大きな期待が寄せられ、ハードルはこれ以上ないほど上がるのだ。メジャーの宿命。

スター・ウォーズ(以下SW)の新作もそう。JJエイブラムズは、ディズニー帝国の手先として、多くの人ー仮にこれまでSWを見たことがない人でもーが楽しめる映画をつくった。基地に簡単に侵入されすぎとか、しょうもないディティールよりも、ダイナミズムを重視。魅力的な女性が主人公で相手役は黒人という、ポリティカル・コレクトネスにも則った、宇宙を股にかけるボーイミーツガール物語。掛け値なしの傑作だ。

体感として、映画を見た人の100人中90人くらいは賛意を示しているが、残りの10人はどのようなものを望んでいたのだろうか。彼らの望むものが、ぼくにはなんとなくわかる。

出会った人に新作SWの感想をきかれるたび「超おもしろい! JJはいい仕事した」とあたかもツウのように答えているぼくも、実は「もっと違うものが見たかったんだよな」という気持ちが拭い切れていないのだから。

それは、「過去のオマージュを取り入れた、すばらしく面白いまとまった映画」ではなく「もっと予測もつかないなにか」を見たかったという気持ち。

しかし、前者を重視したことで、より多くの人数が満足を得て興行収入は上がるワケだし、後者を意識したところで、新たなるジャー・ジャー・ビンクスを生み出しかねない。それに、100人中10人はなにをつくっても文句を言うのだろう、きっと。(そもそも、ディズニー帝国の軍門に下った時点で、前者以外の選択肢は無かったわけだが)奇跡的にもこの両方を成し遂げていたのが、旧三部作だった。


ダウンタウン松本人志のつくるコントも、常に文句を言われるキラータイトルだ。

TVブロスインタビューで、「水曜日のダウンタウン」製作者の藤井プロデューサーは、こう語っている。「ふつう、コメントが10個あったら、放送で使えるのは2~3個。松本さんのコメントは全部使える。打率が異常に高い」(すいません、ろおぼえだけど、こんな趣旨だったかと)。

そんな彼も、近年、なにかが変わった。

知り合いの売れっ子編集者は「ダウンタウンの全盛期は今」と語る。しかし、ネット世論(笑)を忖度すると、それに異論を唱える人も多そうだ。

キングオブコント2015の決勝で、巨匠のシュールなコントを「昔の俺なら好きだった」と評した松本人志。本人もなにがしかの変化を認めてはいるが、どのような変化なのだろうか。

それは、「一般人には予測のつかないなにか」を繰り出してくれる狂気のコント・漫才師から、「多くの人が笑える、異常なまでの高打率(長距離砲もある)なお笑いタレント」への変化ではないだろうか。

「予測もつかないなにか」を提供すること(=サブカル)と、「世の中の多くの人が楽しめる」こと(=メジャー)。この2つはほとんどの場合、相容れない。

しかし、ごくまれに、奇跡的に、とあるコンテンツがこの双方を達成してしまう時期がある。

それが、SW旧三部作であり、ダウンタウンのお笑いだったのだろう。

結婚してかつてのトゲトゲしさと排他性が薄まり、より多くの人を笑いに巻き込みやすくなった現在のダウンタウン。どれだけの革新性があるか、という一点を見れば、全盛期は過ぎたとも考えられる。どれだけ多くの人を笑わすことができるか、という一点を見ればいまが全盛期ともいえる。

友達がいなかった高校のころ、遺書を破れるほど読み、ガキのフリートークVHSを擦り切れるほど見た思い出を胸に、水曜日のダウンタウンを、楽しみに見ている。

そして、すでに2回みたSW新作を、上映期間中にあと数回は見ておきたいと思っている。

(この文章は、死刑に関する原稿執筆の息抜きに、35分で書かれた)