ライター標本5・6

インドネシア帰りのかけ出しフリー編集・ライターのブログ

乙武氏の不倫バッシングで崩れた“障害者の神聖化“ーー「帰ってきたウルトラマン」の脚本に時代が追いついた


映画監督の是枝裕和氏が「映像制作を志す人はこれを見ろ」と絶賛する、特撮ドラマがある。「帰ってきたウルトラマン」第33話の「怪獣使いと少年」だ。たしかに、この回は絶賛すべき神回なんだけど、個人的にもっとつよく推したいエピソードがある。

第31話の「悪魔と天使の間に…」というエピソードだ。

地球侵略を企む宇宙人が、難聴の障害を持った日本人の子どもに化けて、ウルトラマンに戦いを挑むというストーリー。


その正体を知るのは、ウルトラマンに変身する主人公の郷秀樹のみ。子どもの姿をした宇宙人を攻撃しようとする郷は、まわりの人々から「こんな純真な子ども、しかも障害者を疑うなんて」的な感じで、キチガイ扱いされてしまう始末。無条件で「障害者だからって偏見はダメ、差別するな」みたいなことを言われるわけです。


地球防衛隊MATの一員である郷の言葉に、誰も耳をかさない。子どもは純真、障害者は不可侵、という神聖化がなされているのである。

最終的には郷の言葉を信じたMATの隊長が、障害者の子どもに化けている宇宙人を銃殺するというショッキングな映像とともに一件落着。

「障害者だからって特別扱いばかりしてよいのだろうか?」という攻めた脚本のエピソードというわけだ。これ、いまの時代ならクレームの嵐でしょう、きっと。ウルトラマンシリーズって、すげー脚本が多いんだぜ…っていうのは置いといて。

ドラマなどフィクションの世界だけでなく、現実でも、障害者はある種の絶対的弱者、もしくはアンタッチャブルな存在として扱われることが多い。24時間テレビのドラマのように、過剰に美化されることもままある。

さて、先日、参院選に立候補予定だった乙武洋匡氏の不倫発覚が、世間の注目の的となった。いい人だと思ってたのに、実は…みたいな感じで、乙武氏のブラックな部分に注目が集まっている。

これって実はかなり画期的なできごとなのでは。

人間のなかにはいいやつも悪いやつもいる。同じように、障害者の中にだって、いいやつも悪いやつもいるはず。もしくは、いいこともするし、悪いこともする。いかなる場合も庇護すべき、絶対的弱者として扱われてきた障害者が、不倫で叩かれるという、平等な対応を受けたわけだ。

もちろん、乙武氏が著名人で、公人である政治家になりかけていたという背景はある。それでも、条件付きであったにせよ“障害者の神聖化”が崩されたのは事実。

お笑い芸人の松本人志氏が、自身がMCを務める番組で「乙武さんが(番組に)帰ってきたときに『ドスケベ』って頭をどつけるような気がするんです」と発言したことが話題になった。これこそ、きわめて“平等”な扱いといえる。

社会全体が障害者を“平等”に扱う必要があるという前提があるならば、今回の不倫バッシングは、そこへ向かう第一歩にもなりえる。

1971年に、「悪魔と天使の間に…」を書いた脚本家の市川森一氏。彼は「快獣ブースカ」やウルトラシリーズなど、子ども向け番組を中心に脚本を執筆していた。しかし、「ウルトラマンA」を最後に、子ども向け番組の制作からは手を引いた。どれだけ思いを込めて作品をつくっても手応えがなかったからとも言われているらしい。

40年以上経ったいま、彼の脚本に、時代が追いつきつつある。ゆっくりとではあるが、たしかに社会は変わっていっているのだ。


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