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ライター標本5・6

インドネシア帰りのかけ出しフリー編集・ライターのブログ

SMAPの解散で“お茶の間”の歴史が終わったのかもしれない

お茶の間という言葉がある。

よく使われている言葉だけれど、どんな意味かと聞かれると、的確に応えるのは難しい。そんな言葉だ。

建築的な側面から考えると、現在でいうリビングルームだろうか。でも、この言葉がよく使われる文脈を考えると、どうやらテレビの歴史とつながりが深いように思える。

テレビの出演者が、視聴者に向けて「お茶の間のみなさん」と呼びかけたり、世間での、老若男女に向けた認知度が上がると「お茶の間に届いた」という言い方をする。

家族みんながリビングルーム的な空間に集まって、ブラウン管のテレビを一緒に見る。昭和初期に見られた、そんな光景の延長上にあるのが、“お茶の間”という言葉ではないだろうか。そういうことにして、話を進める。

建築的な意味だけで考えると、時代が進むうちに、核家族化が進み、おじいちゃんおばあちゃんちが、お茶の間から抜けていく。そしてリビングルームだけでなく、それぞれの部屋に専用のテレビが設置され、さらにはスマホやPCでの視聴する習慣を持つ人が増えていった。お茶の間が解体されていったわけだ。

時代を経るに連れて、老若男女に広く届いているコンテンツは減っている。

お茶の間が消えかけている。

そして、2016年。SMAPが解散した。

お茶の間にとって、この意味は大きい。

子どもも、大人も、おじいちゃんおばあちゃんも、みんな知っている。そんな存在を、かすかに残ったお茶の間だとするなら、SMAPはお茶の間そのものだったんじゃないか。

そんなことを、「SMAP×SMAP」の最終回を見ながら、思った。

SMAPの解散で、お茶の間という空間がなくなったのかもしれない。せつない。

これからも、SMAPのメンバーたちは、それぞれの道を進んでいくのだろう。でも、あの5人が一緒に立って、「世界に一つだけの花」を歌う光景が、最後に残った“お茶の間”だったんじゃないか。

SMAPの解散、そしてスマスマの最終回とともに、お茶の間の歴史が終わった。90年代から、その黄金期を見てきて、その最後を見届けられてよかった。

いちばん好きだった企画は、古畑拓三郎と、計算マコちゃんでした。