ライター標本5・6

インドネシア帰りのかけ出しフリー編集・ライターのブログ

ライターとブロガーの違いと映画「ヘアスプレー」が好きな女の子の話

■チャーミングなゴキブリの姿?

ある映画好きの女の子が、「すっごいおもしろい映画があるから、見てほしいんだけど」と話しはじめた。


「『ヘアスプレー』っていう映画でね。ジョン・ウォーターズっていう、カルト映画をたくさんつくってる監督の映画。悪趣味映画の帝王とも言われてる人なんだけど。(:このカギカッコ内、このあと、読まなくてもいいです)舞台は1960年台のアメリカの片田舎で、ダンスが大好きな太った女のコが、地元のテレビに出て人気になっていくの。その子はノリノリの曲ならなんでも好きで、上手に踊るんだけど、ブラックミュージックで踊ろうとすると、『そんな音楽はダメ』って言われちゃって。当時のアメリカはまだ人種差別がすごかったから…


と言った感じで、当時の情勢や映画のあらすじ、おもしろいシーンを、ひととおり語ってくれたんだけど、映画偏差値が著しく低いぼくにとっては、あんまり頭に入ってこなかった。なにより、ストーリーを全部話しちゃうのって、逆に見る気を無くしちゃうような気もする(そういうブログ多いけど)。とりあえず適当に相槌を打っていた。


彼女が話し終えたところで、映画のなかで一番おもしろかったシーンを聞いてみた。


すると「最後の方で、主人公の太った女の子がゴキブリの衣装を着て、ゴキブリダンスを踊るシーンがあって、その姿が最高にチャーミングで素敵!」と答えてくれた。


それはおもしろい。つまり、「太った女の子がゴキブリの衣装で踊る」という光景は、ふつうイヤなものだけど、この映画を見ると、不思議とその姿がかわいく見えてしまう。そういう映画なのかな。こう理解して、この考えで合っているか、と聞いた。


すると、「そういうこと! その言い方いいね。その紹介の仕方を何かの機会で使ってみて」と、自分の言ったことじゃないみたいに褒めた。


このやり取りを終えた後、この映画を見たい気持ちが芽生えた。同時に、このふたつの紹介の違いは、ブロガーとライターの仕事の違いと同じだ、と思った。

■オリジナルの拡張子に変換、圧縮する仕事

ブログは、基本的に興味を持ってくれた人だけが訪れるメディアなので、ブロガーが興味を持ってることや、おもしろいと思ったこと、あらすじを、この映画好きな女の子のように、ずらずらと語って、全て書いていけば良い。なんなら長いほうが良しとされる風潮すら感じることがある。


ライターの場合、書いた文章を読んでもらう相手は、基本的にはその文章に興味を持ってない人までも想定して、誰が相手でも最後まで読み進めてもらうことを目標とする。基本的には短ければ短い方がいいし、大体の場合、ひとつの文章で、伝えられることはひとつだ。


この「ヘアスプレー」という映画を紹介したい場合、たぶんだけど、良いところはたくさんあるし、語るべきシーン、切り口もたくさんあるのだろう。でも、まずその映画に興味を持ってない人にオススメをしたい場合、多少強引でも「これは〇〇な映画で、だから見るべき」と言い切らないと、まず聞いてすらもらえないし、何も伝わらない。


文章をすべて読んでもらうことを目的とするならば、短ければ短いほうがよい。


そういう意味では、ライターは情報を圧縮する仕事なんだと思う。毎回、情報を集めた後で、企画や読み手に合わせて、そのときどきの切り口を考えて、オリジナルの拡張子に変換して、圧縮する作業


以前、好きなアイドルグループについての原稿を書いた際に、1万字くらいになってしまって、途方にくれたことがある。原稿がうまい先輩ライターに見てもらって、1200字に削ってもらうと、ようやく読める原稿になった瞬間があった。そのときのことを強くおぼえている。


「ヘアスプレー」の説明も、wikipedia的な情報をつらつら聞くよりも、「ゴキブリ呼ばわりされてた太った女の子が、ゴキブリの衣装でダンスする姿がチャーミング」みたいなシーンを軸の話を聞くほうが、ぼくは興味が持てると思った。


人にとっては、「差別を笑いでふっとばす話なんだよ」って説明をはじめると、興味をもつかも。


好きな映画、本、音楽などを誰かに説明・紹介する時、「ひとことでいうとどんな作品なのか」「どうおもしろいのか」と説明できないうちは、語れるほど整理できていないんだと思う。


っていう話を、その映画好きの女の子に聞いてもらったところ、「めんどくさいやつだな…」といいたいような顔で、苦笑いされました。


たぶん、「ヘアスプレー」の話を聞いてたときのぼくのように、とりあえず適当に相槌を打ってくれていたんだろう。