ライター標本5・6

インドネシア帰りのかけ出しフリー編集・ライターのブログ

あなたの子供や旦那が「youtuberになるから学校(会社)やめる」とか言い出したらどうします?

このエントリを3行で書くとこんな感じ。

ノマドマンセー
→多くの力不足フォロワーが悲惨な状態に
→ユーチューバーマンセー←イマココ

ノマド論争覚えてますか?


底辺youtuberの実態【タイトル変更】 - Togetterまとめ
これ読んだ。

1年か2年前に「ノマド」という言葉が注目を浴びたのを覚えているだろうか。

ノマド
ノマド(nomad)は、英語で「遊牧民」の意味。近年、IT機器を駆使してオフィスだけでなく様々な場所で仕事をする新しいワークスタイルを指す言葉として定着した。このような働き方をノマドワーキング、こうした働き方をする人をノマドワーカーなどと呼ぶ。
引用:ノマドとは - コトバンク

ようするに、フリーで何らかの仕事をする人たちのことをノマドとか言ってたわけですよね。ところがノマドと自称していた人たちの仕事が、たまたまソーシャルメディアを使ったPRであったり、ブロガーだったりしたため、「カフェでソーシャルメディアでつぶやいたりすることをお金にしている」ことをノマドと勘違いした人が続出したわけです。
その筆頭が安藤美冬さんやイケダハヤトさんだったかと(うろ覚えなので)。

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百田尚樹著『殉愛』炎上について、問われるべき「ノンフィクション」とは何かということ


読んだ。

『永遠の0』などの著者、百田尚樹氏が最近発売した、『殉愛』という作品。“ノンフィクション”として売りだされたこの本の内容は以下の通り。

関西で絶大な人気を誇る芸能人、やしきたかじん氏が今年の1月に食道がん亡くなった。亡くなるまでの2年間は、食道がんとの闘病生活をしていたのだが、極めて親しい間柄の人以外は、誰も詳細を知らなかった。百田氏が、闘病を支えたという妻のさくらさんに取材をして、誰も詳細を知らなかった、闘病中の2年間を描いた“ノンフィクション”作品だ。

経過を知りたい人はこの記事が比較的わかりやすかったような。

なんで炎上してるの?

端的に言えば、典型的な遺産相続の揉め事で、片方のみに加担したため。
これに尽きる。

やしきたかじん氏は有名芸能人であり、活動の幅広さなどを考えると相当の資産を残したと考えられる。資産家が亡くなった際のつきものといえば、遺産相続に関する揉め事だ。古来より、ミステリー小説でも、遺産相続といえば殺人事件が起こると相場が決まっているほど、揉め事がつきもの。(最近あんまり見かけないな、使い古された?)。

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飲み会フォント事件の結論。新聞広告デザインしてた経験から教える、とりあえずこれ使っとけっていう5つの鉄板フォント


これ読んでめっちゃ同意した。

新卒入社した新聞社で2年半くらい広告のデザインと営業やってたんだけど、視覚効果には、フォント選びは死活的に重要。その意味では、このトゥギャッターのまとめ主に同意すると同時に、普通の人はフォントなんか気にしてないんだな、という当たり前のことに気付かされた。

そんなに当ててほしくねえならもっと難しい問題出してくりゃいいだろ!!
DFP隷書体とDFP流隷体なんてほぼ一発だろうが!!

これとか禿同過ぎて吹いた笑 隷書体わかりやすいし、なぜか飲食店でよく使われてるよね。

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バイラルメディアが嫌われる理由を考えた結果、問題は違法性ではないことがわかった

少し前、ライターがバイラルメディアのひとつを訴えたエントリが話題になった。このエントリがアップされた直後に、多くの便乗記事がアップされた。ぼくもその一人で、こんなのを書いた。
バイラルメディアはのさばり続けるだろうな〜 - リコシュギブログ

バイラルメディアに関しては、やまもといちろう氏も以前から違法性を指摘していたし、ほとんどのメディア関係は苦々しく思っていたはず。やはり他人のコンテンツを盗んで、それを商品として堂々とお金稼ぎをするという、これ以上に「盗人猛々しい」という言葉を忠実に表す状況がかつてあったのでしょうか、と思えるレベル。

しかし「他人のコンテンツを盗んで、それを商品として観客を集め、堂々とお金稼ぎをする」ということに関しては、いま批判を浴びているバイラルメディアだけが罪を犯しているわけではない。例えばラジオ番組を買ってに書き起こしてアーカイブしている「世界は数字で出来ている」「ラジおこし」、プレゼンテーションなどを書き起こす「ログミー」も全く同じ罪を犯している。
更にいうと、いまやネット上のインフラといえるかもしれないほど大きな存在になっている2ch。これだってコンテンツの転載によって成り立っているし、各種2chのまとめサイト、いわゆる転載の転載というもはや一点の曇りもない漆黒、擁護できないサイトも数々存在する。

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観光地でスマホ写真撮影しまくるの止めない?

京都御所の一般公開に行ってきた。
ゆったり落ち着いた空間で、文化財を眺めながら過去に思いを馳せる…。というのが一般的な楽しみ方だと思っていたのだけれど、殺到した観光客を見る限りでは、ぼくの楽しみ方は少数派と言わざるを得ないようだ。

ではどのような楽しみ方が一般的なのか。それは見るものすべてを「スマホで写真撮影」することだ。どの文化財の前にも人だかりがあって、そのほとんどの人がスマホのディスプレイ越しに眺めているのだ。個人的な意見だけれど、観光中にスマホで写真を撮りまくるのは、断固やめるべき。理由は2つある。

1:旅の醍醐味はディスプレイに映らない

複数の友人と酒を飲んでいた時に、ふと旅行の話をすることになった。5人いた中で、ひとりだけ旅行を全くしないという人がいて、その理由をたずねてみた。すると「実際に行かなくても写真見ればいいじゃん」と言って他の人から猛反発を食らっていたのが印象的だった。

そう。実際にある場所に行ってみるという体験と、その写真を眺めるのでは全く違う体験であるのは自明の理。訪れた場所を、五感すべてを使って楽しむのが観光の醍醐味。ディスプレイを通して見る風景と、自分の目でじっくり見つめる風景ではまったく別のものである。匂いや音、いや視覚情報にしても、ディスプレイを通すことで抜け落ちてしまう情報は多いはず。
にもかかわらず、多くの観光客は風景や展示物を、スマホで写真撮影するのに必死。まるで写真を撮るのがノルマになっているのでは。

ましてや展示品に関する説明の看板を写真に撮ってる人多すぎ。どうせ後で見ることはないんだし、その場で読んで理解して展示品を鑑賞しないと意味ないのでは。

2:撮った写真はどうせ見返さない

これはみなさんも経験したことがあるかもしれませんが、何十枚、何百枚も撮った写真をすべて見返すことはあまりないはず。
旅行の記録係としてみんなのために撮影をしているのならまだしも、家族や友人と複数名で旅行しているのに、全員が写真をパシャパシャ撮る理由はない。誰かが撮った写真をシェアすればいいだけ。

ということで、観光の際には、スマホのディスプレイを覗き込み続けるのはやめましょう。自分の目で、五感すべてを駆使して、目一杯観光地を楽しんではいかがでしょう…って思うの僕だけ?